新築絶賛募集中の「Bella Vista 神楽坂(ベラヴィスタカグラザカ)」の、今回は周辺環境のご紹介です。
向いにある広大な敷地の「済松寺(さいしょうじ)」、三代将軍家光に禅を説いた「祖心尼(そしんに)」の由緒正しきお寺さんです。
済松寺のHPより抜粋します。詳しくは http://www.saishouji.or.jp/ をご覧ください。
◆祖心尼って?
伊勢国で生まれ、俗名をおなあと言います。幼少のころ戦で父を亡くし加賀藩前田家に引き取られます。成長し小松城主前田家に嫁ぎ二人の男子を授かりますがキリシタン大名と親交があった疑いで前田家を離縁されます。その後、京都の妙心寺に身を寄せます。絶望のどん底で悲しみに暮れていたおなあの心に響いたのが「過去にとらわれず、過去にこだわらず、今を生きる」という禅の言葉です。
やがて会津藩蒲生家の重臣と再婚するものの夫が亡くなりお家取りつぶし、江戸で浪人暮らしがはじまります。しかし江戸で多くの書物に触れ、多くの知識と深い教養を身につけ、おばである春日局の補佐役となります。
大奥に出入りするようになり大奥女中たちに禅を説いて聞かせるうちに、大奥女中たちだけでなく将軍家光の厚い信頼をも得るようになります。そして家光の勧めで出家し「祖心尼」となりました。
◆済松寺って?
しだいに禅の道にひかれていった家光は祖心尼に寺領を寄進し寺院建立を指示します。建てられた寺院は「臨済宗」の「済」と「松平家」の「松」から「済松寺」と名付けられました。
家光が亡くなるとき「わが身は日光に葬られても、わが心はこの済松寺に留まる」と言い残しました。
波乱万丈を禅に救われ禅を説いた祖心尼と祖心尼によって禅に導かれた三代将軍家光、済松寺はそういった由緒正しきお寺さんです。
広大な境内には祖心尼の生きた時代を伝えるように、祖心尼の墓、座禅堂である大悟堂、禅の庭、観音堂、観世音菩薩像、本堂、回廊、鳳凰池、茶室などがあり境内探訪ができます。(ご予約制)
また春には見事な枝垂れ桜が咲きます。こちらは開花中なら自由に観ることができるようです。
歴史好きな方にも寺社仏閣好きな方にも楽しい済松寺。なにより波乱万丈を生き、その経験から多くの人々の心の支えとなった「祖心尼」の、ほど近いところで暮らす日々は、心豊かになりパワーが得られること間違いなしですね!